人は独りで生まれ 独りで死んでいく

沖縄やんばるでゆったり暮らしている

心のサポーターなおこです♪

 

めちゃめちゃ怖いタイトル (゜_゜;)

「人は独りで生まれ 独りで死んでいく」

言葉で表すと、こうなるが

言葉どおりではない意味深い感覚のお話。

幼少期から

幼少期から感じていたこの感覚。

もちろん

母のお腹の中で育ち、母の体の中から産まれ落ちた私。

父と母がいなければ、生まれて来れない。

だから、これは奇跡であり。感謝の念しか生まれない。

それとは違い

私が感じているのは、魂の部分の感覚かもしれない。

 

父が自分の老いと向き合っている姿を見て、さらにその感覚が増している今日この頃。

私の幼少期の体験

1,ある日の強烈な感覚体験

私は、高熱をよく出す子どもで、学校をよく休んでいた。

その日の夜も、高熱にうなされていた。

私の看病のために、同じ部屋で夜を過ごす母。

高熱で不安に駆られていた私は、子ども心に嬉しく、安心だった。

のは、寝入るまで (~o~)

 

教師をしていた母は、仕事から帰って疲れ切っていたのであろう。

夜中、あまりの頭痛に目が覚め

泣きながら、母を揺り起こす

 

ところが

ぐぅぐぅ寝息の音。

何度揺すっても起きない!!

(゜o゜;;

 

独り頭痛と高熱と不安に耐えながら

ぐぅぐぅ~いびきのような寝息をして

起こしても起きない母を見て

私は、独りなんだ!

背後に感じる大きな暗闇

その中にある絶望感

とともに

この人生独りで生まれ独りで死んでいくんだ!と思ったことを覚えている。

 

一つから切り離された分離の感覚。

2,宿泊学習の夜

小学4年生の頃だったと思う。

夏の合宿のような、1泊2日の宿泊学習。

あの頃は、大広間で皆、雑魚寝の時代。

消灯時間になり、電気が消され横になっているとき

急にあの感覚が襲ってきて、怖くなる。

人間は独り

魂は天涯孤独。

宇宙の暗闇にぽつんと放り投げられたような恐怖感。

 

私は、頭を付き合わせて寝ていた親友に、手を握ってもらい、この感覚を取り除くのに必死だった。

親友の手の温もりは、今でも忘れない。

独りではない、一つの感覚。

 

それは

繋がりの感覚であり。

安心安全の感覚だった。

言葉どおりではない感覚

「人は独りで生まれ 独りで死んでいく」

産まれるときは、もちろん母と赤ちゃんとの共同作業である。

でも

自分の体の操縦を自分でやり始めた瞬間から、孤独なのだ。

この「孤独」という意味には、語弊があるように思うが、他に言葉としての表し方がわらない。

繋がり・癒し・気づき

私の使命のコンセプトは、そのままカウンセリング スペース ガーデンのコンセプト。

「繋がり・癒し・気づき」が中核にある。

 

ここで言う「繋がり」とは、人と人との繋がりを意味していたが

今では、色んな意味が含まれていることを感じている。

  • 人と人との繋がり
  • 自分との繋がり
  • 魂(心)との繋がり
  • 切り離されていないひとつとの繋がり
  • 地球との繋がり
  • 生きとし生けるものとの繋がり
  • 全てとの繋がり

怪しくなって来たので、終わろう。(ノ><)ノ

さいごに

人が死ぬときは、家族に見守られ、

癒しの空間で

癒されながら

幸福感の中

旅立ちたいという理想はあるが・・・

やはり、それでも

人は、独りで死んでいくのであろう

病院でぽつんと座っている父の後ろ姿を見て、寂しさを感じた。

 

その時に自分の支えになるのは、心の学びだと思う。

その日が来るまで、自分と向き合う心の学びを積み重ね続けていくことは、大事なことなんだと感じている。

 

湧き出てきたままに書きました。

(*^-^*)

(おわり)

 

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