マインドフルネスによる終末期:父の介護看護と私の心②感情はどこへ
沖縄やんばるの自然豊かな環境で
ゆったりと暮らしている
心のサポーターなおこです♪
父が亡くなり、もうすぐひと月が経とうとする。
私はずっと冷静で、落ち着き払っている。
私の感情はどこへ行ったのだろうか。
私の感情状態の疑問
私は父母が亡くなるとき、冷静でありたいとずっと思っていた。
動じず冷静に動ける自分が理想の状態だった。
そして
そうなった。
父が亡くなる前、妹からの緊急電話の対応も冷静だった。
妹が父の付き添い時間だった。
1時間後には私と交代する手はずになっていて、私は自宅にいて出かける準備を始めていた。
その時、自宅の電話が鳴った。妹からである。
妹:血圧がかなり下がっている!病院に来て!!
私:血圧はどのくらい?
妹:上が30とか40になってる!
私:そうなんだ。じゃあ、お母さんを迎えてから病院に向かうよ。
と、ほんとにゆっくりゆっくり喋っていた。
それから、準備をし母を迎えに行き、病院に着いたのは、電話があってから、1時間半は経っていた。
今、書き出してみて気づいたことがある。
瞬間瞬間がとてもスローなのだ。
ひとコマ、ひとコマの映像が止まったような感覚で、瞬間が長い。
静止画が動いていく感じの時間の流れ方だった。
マインドフルネス瞑想の賜(たまもの)か
これまで、マインドフル瞑想のプラクティスを続けてきた。
胸がどきどきしたら、呼吸に意識する。
パニックになりそうになったら、呼吸に戻る。
緊張する場面でも、呼吸を意識し、吸って~吐いて~
と実践するようにして来た。
電話の妹の声を聴きながら、頭の中では、
呼吸に意識~! 吐いて~冷静に~!
吸って~!慌てない~!
と考えながら呼吸に意識をもっていっていた。
そして、慌てることなく、車で35分かけて母を迎えに行ったのでした。
感情に蓋をしているだけなのか
冷静に対応できたのは、マインドフルネスの実践の賜か。。。
と思ったが、日を追う毎に疑問が湧き上がって来た。
私は、自分の感情に蓋をしているだけではないか。
- 死の恐怖
- 不安・怖れ
- 悲しみ
などを味わいたくないので、自分の感情を感じないように蓋をしているだけではないのか。
極めると感情がなくなるのか
それとも
マインドフルネスの実践を続けていくと、【 感情 】を味わえない人間になっていくのか。
喜怒哀楽を味わうために、生きているのに感情がなくなったら、つまらないではないか。
と頭がぐるぐる思考だらけ。
めちゃめちゃ深く考え込んでしまっている現在である。
思考が動き過ぎているので、思考から離れるために、今日は久々に歩く瞑想にでかけた。
答えはこれからわかっていく
答えは、焦らずに。。。
父の死を受け入れながら
自分の感情と向き合っていきたいと思っている。