マインドフルネスによる終末期:父の死がもたらした心の変容③
沖縄やんばるの自然豊かな環境で
ゆったりと暮らしている
心のサポーターなおこです♪
父が亡くなってから、家族は息つく暇もなく、法事や手続き事に追われている。
振り返る暇も悲しむ時間もないように感じる。
そんな中、父の遺影に手を合わせに来る方々が、後を絶たない。
その訪れる方々が、私の心に驚くような大きな気づきと変化をもたらしている。
死に対する思い込み
私は「人が亡くなったその時は、悲しみを味わうがすぐに忘れるものだ。」と思っていた。
何事もなかったかのように、すぐに日常生活に戻る人たちを見て「死」というものに対して、冷めた感覚をもっていた。
人が亡くなってもそのうちに皆、その人の存在を忘れ、まるでその人がこれまで存在していなかったように、それぞれの人生を歩んでいくんだな。皆、自分の生活で精一杯なんだと。
私自身も教師としてフルタイムで働いていた時は、息つく暇もなく仕事と生活に追われて過ごしていた。
叔父や叔母が亡くなったその時は、悲しく寂しく感じても日常生活に戻ると思い出すことはなかった。
だから、私は自分の死を迎える時には、ひっそりと空気のように消えていこうと思っていた。
ところが
父の死は違っていた。
葬儀・告別式での驚き
父の葬儀・告別式当日、式は滞りなく進んでいるかのように思われた。
告別式を終えようとする頃から、私たちは驚く現実を目の当たりにする。
親しくさせていただいている住職さんでさえ、これまでの経験値を超えた想定外のことが起こっていた。
告別式が始まる前、住職さんから
「生前教員をしていたとはいえ、退職してから10年も経つと人は忘れていくからね。お父さんの関係者の参列よりも皆さんご家族の関係者の参列が多いと予想されるよ。」と。
父は、80歳。退職してから20年は、経っている。
「参列者の人数は何人を想定していますか?」
「300人です。多く見積っても350人くらいだと想定しています。」と伝えた。
「そうですか。わかりました。人数が多そうなので、予定よりも早めに始めましょう。」
と、告別式直前に会話し、告別式がスタートした。
何があったかというと、参列者の人数が大幅に想定を越え、350個準備していた香典返しが足りなくなったのである。
沖縄では、告別式に参列できない人の香典を預かり、香典返しを持ち帰る風習がある。
私たちの計算では、それも数に入れての350個であった。
慌てふためいたのは、私たちよりも葬儀屋さんである。
葬儀屋さんが、予備にもっていた100個の香典返しを足しても足りなかったのである。
その日、足りなかった方の分は、後日郵送することになった。
結局、親族を含め香典をいただいた方の人数は、580人を越えていた。
葬儀屋さんでさえ、一般人では前代未聞の数だと言っていた。
そして、香典をくださった方の内訳は、半数以上は父の関係者だったのである。
教員を退職して20年経っても、父は忘れられていなかったのである。
父の偉大さを知った日であった。
告別式以降
実は、私の大きな気づきと変容は、ここからである。
告別式以降は、父の死を告別式以降に知ったという方や、ナンカ(一週間毎の供養)の日に、何度も訪れる方々が後を絶たないのである。
自宅で出迎える母や私たち家族は、てんてこ舞いであるが父の遺影に手を合わせ、そこで話してくださる言葉が私の心を揺さぶるのであった。
皆それぞれに、父との思い出やエピソードを語ってくれる。
父が教師の仕事だけではなく、地域活動にも熱心だったことがわかる。
- ママさんバレーのコーチ
- 小中学生への無料習字教室
- 成人会、老人会での活動
- 憲法9条の会での平和活動
それにも増して
父が20代の若かりし頃からの教え子の皆さんが、家を探して来てくださったり
保護者の方々や元同僚の方々も少なくない。
その中でも地域の方の言葉が深い気づきをくれた。
「○○のことが気になって気になって、ちむわさわさー(心がざわざわ)するから来たよー。」
「ナンカナンカ(一週間一週間)に手を合わせることで、ぽっかり空いた心を埋めていってるんだよ~。」
「家族だけで週法事をすると言っても、私たちも行かないとチムぐるしいさぁ(心苦しい)。」
などなど
すぐに父の死を忘れ、日常生活に戻っているのではなく
父の死と向き合い、自分の人生との関係を振り返っているのだ。
父が死をもって教えてくれたこと
その人の人生で関わった人々には、少なからずとも何らかの影響を与えるのだということ。
亡くなるということは
- これまで地域にいた存在がいなくなり、心の支えが薄れる感覚
- 自分の人生を変えてくれたという教え子さん。父の関わりを糧にこれからも生きていくという感謝の心
- 苦労を共にしてきた方々の心の中にある逞しい同僚である父の姿
- 戦後の苦労を共に乗り越えて来た親族がいなくなる悲しみ
- 私たち子孫、夫婦、母にとっての父という大きな存在の肉体が無くなったということ
父の死は、いや、父の生きてきた人生は
多くの人々に影響を与え、これからも、出会った方々の心の中に息づいていくのだ!ということを体感したのだった。
さいごに
この数日の私の心の中の変容は大きい。
決して、多くなくていい。
今世私と出会える方々と
- 何らかの交流をすることで、
- お互いに良き相互作用をもたらす関係を
- 積み重ねたいと思った。
そして
肉体は無くなっても、父の息づかい、存在感、魂はより一層近くにあることを感じている。
今日沖縄は、ウンケー(入り盆)の日。
ご先祖さま達が戻ってくる日と言われている。
父はまだ四十九日を迎えていないので、向こう側へ戻る途中かな。
父の父母姉たち、ご先祖様達に会えて、喜んでいることを願っている。
未熟な私の心へ死をもって、大きな気づきを与えてくれた父。
本当にありがとう。
つづく